うちのわんこのこと
柴犬はなちゃんはうちに来て6年半になる。
ブログを書いてみようかと思い立ったときから、はなの画像を貼りたかった。かわいいなぁ。
娘が進学のためうちを出て妻と2人だけの生活となったのきっかけに、念願の柴犬を迎えることができた。
赤毛と黒毛が混在した胡麻柴の発生率は2%ほどとのことだ。
血統書には赤毛と記載されていた。お店の人も今後赤毛になっていく、と言っていた。
しかし子犬の時からねずみ色だったはなはみるみるうちに現在のような毛色に変わった。
赤でも胡麻でもなんでも、柴犬はほんとうにかわいいと思う。
ぬいぐるみのようなかわいさから、のちには りりしいザ・いぬ、に変化する。
外見とともに、そのキャラクターもどんどん変化していった。
小池百合子が自民党を勝たせた
第48回衆議院選挙が終わった。
大方の予想通り、自民・公明の与党が定数の2/3を超える勝利である。
「大義なき解散」ではあったが、選挙前に野党1党の民進党は、事実上の解党となった。このまま総選挙に突き進んでも敗北は明らか。国民から見放された民進党は小池百合子を頼って希望の党に合流した。
出来たばかりの新党に野党第1党が屈辱の合流である。決定権は小池氏に握られ、踏み絵だ。”排除の論理”が国民を失望させ、流れは一騎にしぼみ、副産物として立憲民主党が誕生した。
もし、早い段階で小池氏が代表となり衆議院選に打って出れば、打倒安部政権、しがらみのない保守政権を作る、をスローガンに戦っていればこのような結果にはならなかっただろう。判断を見誤った感がある。
世論調査で、都知事として残れ、が60%を超え、”三都物語”で松井知事から「出馬するのではないでしょうね」、その言葉が決定を鈍らせたのか。新党を結成し代表に就いたなら、出馬しないと士気は上がらない。本気さが伺えないではないか。外野席から高みの見物と国民に受け取られても仕方ない。政権交代を目指す心意気が伝わらず、第2自民党的なものになってしまった。それなら実績のある自民党に託した方がまだましだと消去法で投票先は決まるではないか。
希望の党が誕生した時はチャンスだった。安部政権も焦った筈である。負け数を減らすために解散に出たのが、野党の内輪もめで自民党は漁夫の利を得た。民進党の合流で野党の結束は乱れ、小選挙区では政党が乱立し、批判票が分散される形になった。
自民党の勝ちは、消去法での勝ちだ。現に、安部政権より、誰か違う人物を総理にと望む人の方が多いではないか。
自民党は、これからの政権運営で決しておごらず、党利党略にとらわれず、国民の方を向いて行ってもらいたい。国民の誰もがそれを望んでいる筈である。
投票日に思う
雨の中での総選挙である。ただの雨ならまだよいのだが、台風21号が接近中なのだ。この国の将来を左右する大変大事な選挙に、この気象は何ともいたたまれない。
万が一、投票率が50%を割るようなことがあれば、国民の過半数が欠席の中審判が下されるということになる。
喜んでいるのは組織票を持った政党、浮動票を当てにしている政党は不利という図式だ。
選挙中のインタビューでよく耳にする。「投票しても何も変わらない」。未来を放棄しているのだ。
私も同じ気持ちになることがある。選挙前には、どこの政党も自分に都合のいいことばかりを言う。消費税の引き上げは、3党合意で決定しているにもかかわらず、2度も延期された。今の経済状態ではとても無理だからと。その反面、雇用は拡大し、株価も上がり、経済状態は踊り場から上昇に向かっていると。自己都合により時と場所により言い分けるのが政治家だ。しかしそれを政治家と言っていいのだろうか。
政治家が小粒になった。志のない者は立候補を取り下げるべきではないか。
では、志とは?
自己を捨て、国民国家のために滅私奉公することだ。こちらの党にいた方が選挙に有利だからと鞍替えするような者は投票に値しない。立候補者の言動と政党の選挙前と後のことを想定して投票することが大事だ。選挙後の議席数によって枠組みが変わるのは致し方ないところもあるが、政党のポリシーを捻じ曲げての大同団結では国民の意見をないがしろにすることになる。そこを想定して1票を投じなければならない。
150年前、幕末から維新へと時代が動くとき、名もない志士が大勢いた。幕府や藩の要職にあった者に志士はいない。下級武士や農民等市井の民がこの国の行く末を案じて身を投げうち自らの生命を捨石に明治維新を迎えた歴史がある。
時代は流れてこの現代、この日本人の平和ボケたるやこの上ない。一人一人の国民が、偽政者の言動を監視し投票することにより、今より少しはましな世の中になるのではないか。