投票日に思う

 

 雨の中での総選挙である。ただの雨ならまだよいのだが、台風21号が接近中なのだ。この国の将来を左右する大変大事な選挙に、この気象は何ともいたたまれない。

 万が一、投票率が50%を割るようなことがあれば、国民の過半数が欠席の中審判が下されるということになる。

 喜んでいるのは組織票を持った政党、浮動票を当てにしている政党は不利という図式だ。

 選挙中のインタビューでよく耳にする。「投票しても何も変わらない」。未来を放棄しているのだ。

 私も同じ気持ちになることがある。選挙前には、どこの政党も自分に都合のいいことばかりを言う。消費税の引き上げは、3党合意で決定しているにもかかわらず、2度も延期された。今の経済状態ではとても無理だからと。その反面、雇用は拡大し、株価も上がり、経済状態は踊り場から上昇に向かっていると。自己都合により時と場所により言い分けるのが政治家だ。しかしそれを政治家と言っていいのだろうか。

 政治家が小粒になった。志のない者は立候補を取り下げるべきではないか。

 

 では、志とは?

 自己を捨て、国民国家のために滅私奉公することだ。こちらの党にいた方が選挙に有利だからと鞍替えするような者は投票に値しない。立候補者の言動と政党の選挙前と後のことを想定して投票することが大事だ。選挙後の議席数によって枠組みが変わるのは致し方ないところもあるが、政党のポリシーを捻じ曲げての大同団結では国民の意見をないがしろにすることになる。そこを想定して1票を投じなければならない。

 

 150年前、幕末から維新へと時代が動くとき、名もない志士が大勢いた。幕府や藩の要職にあった者に志士はいない。下級武士や農民等市井の民がこの国の行く末を案じて身を投げうち自らの生命を捨石に明治維新を迎えた歴史がある。

 時代は流れてこの現代、この日本人の平和ボケたるやこの上ない。一人一人の国民が、偽政者の言動を監視し投票することにより、今より少しはましな世の中になるのではないか。